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イノベータージャパンOBインタビュー:センベイブラザーズ笠原さん【前編】

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Innovator Japan Editors

こんにちは。インターン生の道順さくらです。

最近、インターネット販売でも1〜2ヶ月待ちという煎餅ブランド、「Senbei Brothers(センベイブラザーズ)」。
他社メーカーの下請け生産を行なっていた煎餅工場・笠原製菓*1が、不景気の影響と3代目の病による引退と苦境が重なり倒産寸前に。。

そこで笠原兄弟が「せんべいを、おいしく、かっこよく。」というコンセプトのもと自社ブランド「センベイブラザーズ」を立ち上げ、そのブランディングや多種な味付け、本当に美味しい煎餅で大ヒットに。

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左:忠清さん 右:健徳さん

兄の健徳(かつのり)さんは主にブランディングやパッケージデザインを担当し、弟の忠清(ただきよ)さんは工場で1人で煎餅を焼いています。

実はブランディングを担当している兄・笠原健徳さんは「センベイブラザーズ」立上げ前、イノベーター・ジャパンでデザイナーとして働いていたのです!

なぜ「センベイブラザーズ」はここまで爆発的なヒットになったのか。笠原さんは何者なのか。

今回は特別インタビューに応じてくださいました!

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笠原健徳さん

ー率直に聞きますが、なぜここまで”流行らせる”事ができたのでしょうか…

そうですね、「流行った」とか「バズった」とかは結果論で、僕が本当に稼業に着手し始めた時は本当に工場自体も倒産寸前で、お煎餅も全然売れない…規模も小さな町工場ですから、「流行らせる」とかは全然考えれていなく、とりあえず、「目の前の、地元のお客さんにお煎餅を買ってもらうにはどうすればいいかな」ということに対してやれることを積み上げていきました。

そしたら徐々に輪が広がっていって、SNSやTVに取り上げられて…今5年弱の活動になりますが、それで今に繋がっているという感じです。

ーなるほど。では自分たちから拡散のためのマーケティング戦略などはしていなかったのですか?

今考えたら「ダイレクトマーケティング」のようなことを日々自分たちでやっていたと思います。

その当時は”マーケティング理論”とか ”How to” というより、「とりあえず自分たちで出来ることをなんでもやらなきゃ」と思っていたので色々やって…結果、それがマーケティング的なことだったのかな、と感じます。

ーではほとんど「口コミ」で広がっていったのですか…?

そうですね。ありがたいですね!

ー煎餅屋さんは元々継ぐつもりだったのですか?

まず創業者の祖父が、僕の母親に「商売やってる家に嫁いだんだから、男二人は産め。」言われて、そんな無茶ぶりに母親がなんとかこたえて(笑)、僕ら兄弟が生まれて、僕自身もそのまま煎餅屋になると思っていたら、2代目である親父が亡くなって、3代目として、父親の弟(叔父)が継いだんですね。

それで会社も上手く回っていたので、僕らは学校卒業してもすぐに工場を継ぐという訳ではなく、僕はデザイン事務所に就職し、弟も稼業以外の仕事を渡り歩いたり、稼業から離れてる期間が二人ともありました。

そして、その当時の工場長が急遽辞める事になり、母親から「今入らないとタイミングなくなっちゃうから…」と言われて、弟が先に工場で働き始めました。

で、その後僕はちょうどイノベーター・ジャパンで働いていたのですが、3代目のおじさんが病気になってしまい、会社も倒産寸前。

やばいなと思って…亡き親父の後継という自覚はあったし、母親と弟が困っていたので、やれる限りの事をやってみようと思い、稼業を引き継ぎました。

なので少し遠回りして「継いだ」感じです。

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ー煎餅屋さんになるまで、どのような仕事をしてきたのですか?

3社くらいの会社を渡り歩いて、ベンチャー系の企業や大手ヒューマンリソース系会社のサイト運用、デザインをやっていました。

その後イノベーター・ジャパンではウェブや紙周りなどのデザイン、他にも当時クライアントのレストラン経営のお手伝いをしていたので、包装紙やギフトの箱なども担当しました。

ーその、「デザイン」に興味を持ったきっかけはなんですか?

最初はどちらかというと絵を描くのが好きだったんですよね。

でも絵を描いてメシを食っていくのは大変だと分かり、ちょうどその頃普及しだしたDTPや、Macに出会って、そこからグラフィックデザインに興味を持ちました。

あとはその方が仕事にもしやすかったので。。。

ーどんな絵を描いていたのですか!?

専門学校ではグラフィックデザインのイラストを学んで、どちらかというと、ジャンクアート的な、壊したものでのコラージュを作ったりしていました。笑

ーイノベーター・ジャパンで何を学びましたか?

物事の本質を見ることです。

イノベーター時代、CEOの渡辺さんに言われ続けてたんですけど、やっと今分かったみたいな(笑)。

このインタビューのお話がきた時に思い出したエピソードがあります。先ほどのレストランとは別に焼き菓子店の販促物のデザインを担当していた時の話です。

そこのケーキに刺す「お店のロゴの入った厚紙」を作り直そうという話になり、見積もりを出したらそれが1つ「5円」だったんですね。

紙は食品に刺すものだから高品質のものじゃなきゃいけなく少し高いけど、僕は「必要コストかな」と思って、渡辺さんに見積書を提出したら、「そっか…これに5円かかるんだったらケーキに5円刺さってた方が嬉しくない!?」って言われて!笑

あぁ確かになぁ…と。笑

それが「仕事だから」「みんなやってるから」とかではなく、普通に商品から5円引いてあった方が嬉しいですよね。

お客さんもハッピーだし、それを作る手間も省けるし。

まぁ5円ケーキに乗っけるのは汚いけど。笑

その常識にとらわれない、常に「なんでこれがあるんだろう」と考えるマインドに影響を受けたとは思いますね。

当時は、マックとかPhotoshop、Illustratorなどツールがあったからこそ仕事にできたところがありました。

デザインは課題解決の1つの手法じゃないですか。

それでイノベーター・ジャパンではお客さんから課題をもらって解決しなければいけないのですが、僕は”ツール”により気味だったなぁと。

Photoshop上で出来ることをやっていたという感じで。

結局そっちの方がそれなりのものが出来るし、仕事の限られた予算と時間内でこなさなければいけなかったので…。

そうゆう反省が大きいですね。

でも今、自分が企業の責任者になって、日々物を売って、そのためのデザインを考えた時に、もちろんPhotoshopとか綺麗なものを使ったり写真を加工するのも1つの手だけど、そんなことしなくても、手書きで紙に書いてやることの方が目的を達成させる事もあって。

駅前で煎餅を販売している時は、手書きのPOPが一番効果がありました。笑

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ー仕事に対する健徳さんのやりがいは何ですか?

10代の頃は、煎餅屋に生まれて、将来の仕事は決まっていたから、勉強もしなかったし、部活もやらなかったし、一生懸命何かをやることがなかったです。

全部「惰性」みたいな感じで、イラストも食っていけないからDTPとか、一番は望めないから第2第3候補を選んで、デザインの業界にいた時も、僕より2〜3才若い社長がいて。

実際、歳重ねた時に「僕の仕事でどうゆう価値が生み出せているのかな」とか、5年後、10年後、リアルなネット世代の人たちがデザイン、コーディング、プログラミングも全部出来て…って考えた時に、自分の居場所、存在価値に不安や焦りを覚えました。そっちの方が大きかったです。

今まで、日々100%の自信を持って自分の仕事を全うできなかったことを思い出します。

でもやっと今40才超えて、家業ついで、自分のできることを最大限にやって。

20年間なんとか諦めないでやり続けてきたことが今になって繋がって、やっと、100%自分の仕事が好きだって言えて、初めて自分の仕事に対して自信を持てました。

なので、その20年間の下積みは遅咲きになったけど繋がって、「自分がやってきたことは無駄じゃなかったんだ」と思えたことが本当に嬉しいです。

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「センベイブラザーズ」商品

ありがとうございます。

ヒットの裏には大変な苦労があったんですね…。

健徳さん自身の葛藤など、ここに至るまでの長いストーリーを聞くことが出来ました。。

次回、「センベイブラザーズ」さんのパッケージデザインや工場について、もっと深く探っていきたいと思います。

お楽しみに!

センベイブラザーズ商品詳細などの情報はこちらから↓

senbei.saleshop.jp

*1:東京・江戸川区船堀にある老舗の下町せんべい工場。1960年創業。

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