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デザインの向こう側

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こんにちは、CDのshigeさんです。

デザインっていうのはとんでもなく体系の裾野が広大です。複雑極まりない世界、まるで人体や宇宙みたいに。数十年の間に技術革新が進んだことや、様々なことが頭打ちになったりしたことで、その言葉に求められる希望や定義が変化したこともあります。どれくらい広大かと言えばまずはミクロな話から。

良し悪しの根源

例えばグラフィックデザインなら一つひとつのクリエイション内には、紙、かたち、サイズ、印刷技法、色、背景、余白、キービジュアル、タイトル、見出し、本文、書体、文字間、行間、罫線、曲線、バランス、写真、イラスト、ほか無数のオブジェクト、と数え切れないほどのエレメントがあり、デザイナーは日々刻々と地道にその決裁と作業と格闘しています。色や書体といっても、微細な違いや選択肢と組み合わせは無数で、その決裁は果てしなく時間も要します。デザインのトレンドや歴史、表現の引き出しなど知見によっても、その無数の表現はミクロの単位で変わり、それがたとえミリ単位の微差でも無数に集積されれば、クリエイティブ全体をマクロで見た時のクオリティや方向性は180度印象が変わります。良し悪しの根源が一見認知しにくい細部に織り込まれ、神は細部に宿るほど手がかかるのがこの世界です。

デザインの軸足

しかし、そんなエレメントも一歩視点を引いて見てみると、様々な対象の媒体があって広大な体系をしています。例えば、CI/VI、ポスターや交通広告、新聞や雑誌の広告、看板やフラッグ、チラシやパンフレット、雑誌や書籍、フライヤーやチケット、DM、CD、POP、時にはステッカーやノベルティなど多岐にわたり、パッケージ、サイン計画、サイネージ、CM、動画など、その軸足領域を中心に色々な歩幅でピポッドする人もいるでしょう。どのメディアならどんな人々と接することができるのか、一つ違えばコミュニケーションや売上の桁が変わることもあります。

さらに俯瞰して、例えばデザイナーと言ってもその職能領域は、ファッションデザイナー、プロダクトデザイナー、グラフィックデザイナー、パッケージデザイナー、VMDデザイナー、インダストリアルデザイナー、インテリアデザイナー、空間デザイナー、WEBデザイナー、UIUXデザイナー、CGデザイナー、DTPデザイナー、エディトリアルデザイナー、ブックデザイナー、とキリがないですが、これら全部が異業種であったり。定義にもよりますが必要な知識も違えば、学生のときからそれぞれの専門毎にプロを目指し勉強している人たちも多いです。

加えて上記までのそれぞれの体系も、各々そこには沢山の専門家が関わっています。構成や原稿などを考える編集さん、撮影にあわせて様々なカメラマン、イラストを描くイラストレーター、言葉を考えるコピーライター、CDさんやADさん、販促戦略の人、宣伝や広報の人、店舗の人、場合によっては商品開発者など、ほかにも沢山の専門家で作り上げていきます。あくまで"視覚コミュニケーションを作る工程はクリエイション全体の一部"に過ぎません。商業デザイナーひとりで作れる売れるというわけではありません。必要な専門知識が違います。

ブランディングとプロモーション

商業デザインとしてのクリエイティブは、大別的にブランディングとプロモーションとありますが、いずれもここまで複雑だと一つひとつの表現もバラバラで綱引きになりやすく、コンセプトワークが必要です。コンセプトとなる意図や価値の基準なしにクリエイションはできません。意図や基準値がなければ、決裁にそれぞれの主観が介在したり、表層的装飾にも頼りがちです。ブランディングは、ブランドの存在意義を識別・認知させるため、遅効性だけど長期的に統一的な身だしなみで世界観を管理していくもの。プロモーションは、消費を促し事業を回転させるため、短期的でも即効性による時節や限定等の売り込み訴求で販売促進するもの。いずれにせよ、ブランディングだけでも売れないし、プロモーションだけでも長続きしないもの。世の中に価値を提供する上で経営に大事な考えでしょう。

ここまでマクロに俯瞰してくると、どこまでをデザインという言葉の範囲とすべきか難しくなってきます。デザイン経営という言葉もありますが、ここまでの話も経営全体からみれば一部でしかありません。また大文字のDESIGNや小文字のDesign、色々な議論もあります。デザインは経営の一部なのか、経営自体をデザインの話で語れるのか、ここはどうやら各所で賛否両論のようで。

デザインの役割

私は、デザインの最終的な終着は「より良くすること」、ものごとのあるべきかたちをホリスティックな次元で考える良い未来への想像力のことだと思います。デザイナーはいつも日々無数の決裁に迷い悩み続けながら、結局これは何のためなのかという究極の問いに行き着かざるをえないからです。ミクロからマクロ、主観から客観、枝葉より根幹、表層より意図、理論より直観、言語より視覚、付加価値より本質価値、日常、もの、ひと、商品、誰か、他人、社会、生活者、大衆、環境、自然、世界、そういった客観や総体の視点に日常的に想像や妄想をスイッチングをしたりすること。それこそ次元を行き来するような思考のことなんだと思います。

おしまい。